たまにはDD日記から外れてみよう(^^;

さてさて…インディーズ、メジャーそれぞれ4組ずつ来たので…ここらでちょっと関係ない方向に寄り道してみようかな?
そうしないとネタが続かないしねwww

本日のテーマは「三国志
いわずと知れた中国の古典、歴史書としての正史と、それを基にして小説としてアレンジした演義があり…一般的には演義の方が馴染みがあるでしょう。
何故ならば…歴史書or小説…一般人が読んで面白いのは当然…w

三国志の登場人物でおいらが一番好きなのはやっぱり「趙雲」(ちょううん)
姓が趙、名が雲、字(あざな)が子龍(しりゅう)
特別好きじゃない人には字って?って人も多いと思うんだけど、簡単に言えば"日常的に使う名前"です。当時、名は畏まった時以外は使わないのが普通だったらしく
姓+字ってのが普段の名乗りに使われたんだそうです。
姓+名or姓+字であり、名と字が同時に使われる事はありません。
劉備玄徳、諸葛亮孔明関羽雲長…どれも誤った表現です。
以前クイズミリオネアで「関羽の下の名前は?」なんて問題が出た時があり、その答えとして用意されていたのが雲長だったのを見ましたが…もうね、アフォかと、ヴァカかと…w
つまり趙雲の場合は本名は「趙雲」なんだけど、普段使う名前は「趙子龍」となる訳
…つーか趙雲の字は三国志の登場人物でも指折りの格好良さだ♪
常山郡真定県(現在の河北省正定県)の出身で、槍の達人。
身長八尺、正史は隻眼であるとか際立ったもの以外はあまり容姿には触れていないのですが、周瑜(しゅうゆ)や趙雲は姿や顔つきが際立って立派(ハンサム)だったと正史に記述のある数少ない人です。
長坂での単騎駆け、漢中攻めでの見事な撤退戦と空城計などの活躍で知られ、劉備から「子龍は一身之全て肝だ(全身が肝っ玉の様な漢だ)」と賞賛された、蜀の五虎大将軍の一人。正史では地味な存在なれど、作者の羅貫中(らかんちゅう)が同郷であるためかw、演義では大活躍します。
でも…趙雲が活躍するのは撤退戦(負け戦)ばっかり(^^;
それもそのはず、趙雲は所謂近衛みたいなポジションが多い…活躍するという事はすなわちそれだけ押し込まれているって事に((((;゜Д゜))))
とはいえ、勢いに乗って攻めてくる敵を抑えながら劣勢の味方を取りまとめ最小限の被害で撤退を成功させるというのは有能で無ければ出来ない仕事です。

傲慢な関羽や短気な張飛と違い寡黙で、自分の地位に対して不平を言うことなど一切無かった、しかし、関羽の仇討ちで孫権を討とうとした劉備を「孫権を攻めるのは私憤であり大義はなく(漢室復興の為には)曹操の打倒こそが正当です」と諫めた様に、普段はでしゃばらなくとも、言うべき時には主の意に反しても苦言を呈する。真の武人!(・∀・)カコイイ!!
任務に忠実で勝手な行動は取らず、それでいて必要に応じて機転も効かせられる無敵の中間管理職!w
劉備諸葛亮が絶大な信頼を寄せ、何かと頼りにしたのも頷けます。

ただ、趙雲には歴史に残るとんでもない大失態があります。
それは長坂で阿斗(後の劉禅)を救い出してしまった事(^^;;;;;
命を賭けて救い出した主君の後とりは…歴史に残る暗君でしたから!残念!!(><)

p.s.今ここ見てる人でこのネタに付いてこれる人いるのかな?w
…周景さん、見ててくれると良いんだけど(^^;